ここ最近、多くのモノ作りをする方とお話しをする機会が多いのですが、自分の作るべきものはこれでいいのだろうか、そんな風に考え直すこともしばしばです。
作った物を、他人の目にさらすというのはいろんな意味で責任を持たなければいけないことです。ましてや、その作った物でお金を得るのだから、その責任は重大です。 いや、自分が何か意見を発言するという、その行為そのものにも責任が必要だったりします。
出来上がったもの(作品)は、自分の分身のようなものです。学生のころは、作った物を第三者に発表するなんて、内臓をさらすみたいな気持ちでとてもイヤでした。一度だけ、グループ展で参加した作品は、今の自分の中の興味の集大成・・・を壜に詰めるという作品。1から手で作るのではなく、既存の物質を再構成することによってコンセプトを表現するというもの。
さて、さて。
私は作品を作っているつもりでいます、いつも。商品を作っているつもりはほとんどありません。でも、いつの間にか『売るためのモノ』を作っていた私がいました。なぜ、いつも『作る』という自分の仕事/行為に疑問を持っていたのか、ようやく分かりました。 私は、やっぱり『売るための商品』を作っていたのです。だから居心地が悪かったのね。
大学で染織を勉強しつつも、作品は使えるものを作りたいと思っていました。当時はタータンチェックをはじめとする民族衣装に使われる布を念頭においていたからですね、きっと。この数年、作ったものを売るようになってから、いろいろなことを考えました。
何が作りたいんだろう? 何をしたいんだろう?って。
私自身がどこへ向かっているのか、時々分からなくなります。
けど、ここ最近なんとなく見えてきました。心地よいものを作ること。使った人が心地よいんじゃなくて、作っている自分が心地よいものです。 私の手で作り出されるものは、全ての繊維が私の手に触れます。もし、私の心がよくない状態のときは、きっと作り出されるものにもその念が移っている事でしょう。
それではダメなんです。だから、やっつけ仕事もだめ。
以前やっていたOLの仕事を辞めた理由は、自分のための時間が欲しかったからです。作る時間が欲しかったのです。作るという事を続けるのはとても大変なことです。とても強い意志が無いとできません。お金は無いです、いつも。新しい洋服や靴なんて買えません。OLの時のように飲み歩いたり、高級レストランなんかには行けません。でも、代わりに作るという楽しい時間があります。
そういうことをすっかり忘れていました。
作りたいものを作っていこう~
作って幸せになろう~
売れなくたっていいじゃない?だって、作りたいんだもん♪
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写真の糸、可愛くてたまりません♪