雨の火曜日でしたが、多謝工房では4月のワークショップが行われました。初めての方も、2回目の方も、みなさん楽しくコースターを作って刺繍までできました♪
染織というと”難しい”というイメージですが、フエルトもウールを扱う染織のひとつです。こんな作業をするとフエルト化するんだってことが分かったら、次に染めをするときには、フエルト化をしないように(今日のフエルト作成のこと)・・・というのがわかりやすいかなって思うのです。
というわけで、今後のワークショップは、今までのようなフエルトでウールに触れてもらいたいというものと、もう少しウールを楽しみたいな~という方のためのウール手芸部っぽいのとを計画しています。(と思ったら、今日の参加者も、そんなことを希望されていました)
繊維に色がついて、糸になって布になっていくのって、なんだかとっても原始的だけど、ワクワクする仕事なんです。
先日読んだ『からくりからくさ』は朱音さんに紹介される前に、今日の生徒さんが以前お話しされていた本でした。あんな風に、学生時代のように同じ空間で生活しているメンバーがそれぞれの染織の世界を持って生きているって、やっぱり“魔女っぽい”ですが、魅力的な空気感だって思います。無(正しくは超単体的な有)から、無限的な有を生み出す事と、その裏にある世界と歴史が絡み合う世界、それが染織だなーって思っています。だから、今日みたいに、いろんな世界観を持ったいろんな世代の女性が、染織を通じて同じ空間に居合わせるって、『からくりからくさ』みたい、ってフト思ったのでした。 とても時間のかかる染めや織りの世界は、長い長い染織の歴史の中で、今のように確立されました。古の女性たちが毎日少しずつ、生活の中で自己を犠牲にしてまで織り進めてきた 布の世界。時代によっては、“その布”であるがゆえに命を奪われる程の、布の持つ力。そこに、アイデンティーを織りこむ事は、生きた証を織りこむのと同じなのです。
布を販売し始めた時からずっと変わらず続けていることですが、私の作品や商品には、縫い付けてあるようなタグがありません(値札や取り扱いのためのタグはあります)。それは、ブランドを後世に残したいから布を作っているのではないからです。布や作品を第三者に販売するのは、購入された方、そのものを最終的に手にされた方が、「“誰か”がこの布を作ったのね」とホンの0.5秒程度でも一瞬思ってくれたら、それで私の布の存在価値は全うされるのです。
酔っ払った勢いで、なんだか想いを綴ってしまいましたが、でも、私のなかの布(繊維)というものへの畏敬の念はいつもこんな感じなんです。
というわけで、多謝は常に『繊維に対しての感謝の気持ち』で「多謝」なんですよ。
今日のワークショップは楽しかったー。
(酔っ払いナガサワ・談)