2006/02/06

同じかも


今日、とある縁で珈琲の入れ方のデモンストレーションに参加した。ウンチクを言うのは好きじゃないという講師は、あれだけべらべらしゃべっているのをウンチクだと思っていないのかちょっと疑問ではあるところだけど、それはよしとしよう。
その方が、珈琲の素材のことや、煎り方、挽き方、入れ方について彼なりの思いや姿勢を語る。 私はフエルトの制作と同じだ!と、ワクワクして聞いていた。
また別の珈琲人は「細かいことを言うのは嫌なんだ」という。それも分かる、分かる!どちらも、私の今までの苦労や喜びを代弁しているようで面白かった。
フエルトについて記載するけど、それを全て珈琲にたとえてみると彼らの話が見えてきます。 **************************************
まず、素材。
同じメリノでも種類はさまざまである。その生産地も違えば、個体も違う。同じ牧場に生まれ育っても、人と同じように個性が出る。それは毛質も同じで決してメリノだからこれ!ということはない。(メリノは品種で、他に、ロムニーやコリデール、ジェイコブ等々・・・人間の人種みたいなものである)
先日使ったメリノがこのくらいの温度で、このくらいの時間で、このくらいの強度で、このフェルトが出来たからといって、次に同じものを同じに扱っても全く同じものが出来るということは無い。どんなに作業能力に長けた人でも、その時々で様子を伺いながら作業に変化をつけていくものである。同じものを作成したいのならばなおさらである。 一期一会の精神で素材と向き合う。明日はきっと気温が違うし、湿度も違う。そうすると毛の状態も変わるのだ。出来上がったそれを手にする人も今の私と同じ心境だとは限らない。 細やかな作業は筋力を要する。
(踊りや音楽なども同じである)
神経を集中させ、今の状況を判断し、素材に向き合う。 冬と夏とでは温度の設定は違う。時間の掛け方も違う。 だけど、きっちとこうでなくてはと教える先生方は多い。私はそれが辛かった。いいじゃん、私はこう表現したいんだもん!って、ココまで出ているのにいえない私がいるから、じゃいっそ独りでやろうと思った。
独学はそれなりに孤独なんです。
コレ!とすがるものがない分、自分を信じないといけない。
私はコレが好き!だから作るのって。
好きでもないものを作ってしまったときには、実は素材に対して心を痛める。ごめんね、こんな姿にしてしまってって。
毎日が楽しくて溜まりませんが、そろそろ疲れがたまってきたのも事実。
たくさん寝たい・・・。